わたしたちのクリスマスコンサート

待ちぼうけ

待ちぼうけ

1.
待ちぼうけ待ちぼうけ
ある日せっせと※、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木のねっこ

2.
待ちぼうけ待ちぼうけ
しめた。これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ

3.
待ちぼうけ待ちぼうけ
昨日鍬取り、畑仕事
今日は頬づゑ、日向ぼこ
うまい切り株、木のねっこ

4.
待ちぼうけ待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで森のそと
兔待ち待ち、木のねっこ

5.
待ちぼうけ待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野(あれの)の箒草(はうきぐさ)
寒い北風木のねっこ

※通常、私達は「待ちぼうけ待ちぼうけ。ある日、せっせと、野良かせぎ~」と歌い出しますが、大正14年に初めて出版された詞を見ると、「せっせと」とが、「せっせこ」になっています。
一方、大正12年の山田耕筰の曲譜には「せっせと」とあり、両者の間に食い違いが見られるそうです。その原因は定かではありませんが、昭和5年に白秋の全集(アルス版)が刊行されると、問題の箇所は「せっせと」に改められています。
満州で出版されたときに、標準語の「せっせと」で子供たちに歌わせたいという教育委員会の意向が働き、その後白秋のオリジナルの「せっせこ」に戻されたといういきさつがあるという説もあります。

◎白秋は詞の終わりに、「これは満洲の伝説です。満洲の教育会用童謡として作つたものです」と注を入れています。
 
 *中国の古典、戦国時代の思想家・韓非(紀元前3世紀に活躍)が著した『韓非子』五蠹篇の説話「守株待兔」(しゅしゅたいと、くひぜをまもりてうさぎをまつ)から録られたものでしょう。
「聖人とは、昔にとらわれ、一定不変の基準に固執する者ではない。聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのである。
 宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、彼は畑仕事はやめにして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。彼は国中の笑い者になったという。
 昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切株を見張った男の同類である。」とあります。
 「世の中の変化に対応せず、古い成功例を墨守する儒学者の愚かしさ」を譬えるために示されています。
 『韓非子』に出てくる「宋」は、黄河と揚子江に挟まれた淮水(わいすい)という川の中流にあり、紀元前8世紀頃建国されました。宋でこの話が成立した時期は特定できませんが、少なくとも韓非が活躍していた紀元前3世紀までには出来ています。それから長い時間を経て、中国周辺の民族にも伝播し、満州の伝説となったのでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%85%E3%81%A1%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%91
http://www.maboroshi-ch.com/old/edu/ext_60.htm
http://hakusyu.net/Entry/77/
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/Y/Yamada/S5030.htm

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